大判例

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福岡地方裁判所 昭和45年(わ)961号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、被告人が境内に着いて二、三分経つた頃、中宮が石段を上つてくる足音が聞えたので、被告人は前記ベンチ付近から同人の方に歩み寄り、一方石段を上つて来た中宮も被告人の方に歩いてきたので、両者は境内にある大きな楠の木のすぐ東側の暗いところで、一メートル余の間隔において向き合うような形となつた。するといきなり中宮は喧嘩腰になり「貴様横着かぞ、なめとりやせんか」と怒鳴りながら前屈みになつて右手を左腰のあたりにやり、何か嘩喧道具でも取り出するかのような素振りをみせたので被告人は、中宮が石段を上る途中で棒切れでも拾つて来たのであろうと位に考え、まさか同人が出刃包丁を携帯しているとは予想もせず、「何や貴様、喧嘩なら素手で来い」と怒鳴るように言い返した瞬間、その場で、中宮はかねて隠し持つていた刃体の長さ13.5センチメートルの出刃包丁をいきなり被告人目がけて突き出し、被告人の右大腿部内側に長さ五センチメートル、幅二センチメートル、深さ一〇センチメートルに達し、血管並びに筋損傷を伴う刺創を負わせた。被告人は、中宮から刺された時一瞬痛みを覚えるとともに脚ががくつと落ちたように感じたが、全く突然のこととて夢中で右大腿部内側に刺さつている出刃包丁を抜き取つたところ、そこへなおも中宮が手に石のような物を持つて被告人の正面から殴りかかつてきたので、とつさに無我夢中で、抜き取つて手にしたばかりの右出刃包丁をもつて中宮の正面から同人の左胸部、右胸部および左頬部を各一回突き刺し、よつて同人を右胸部より心臓内への刃器刺入等による外傷性失血によりその場で死亡させた。

二、「急迫不正の侵害」の存否につき考えるに、さきに認定したように、

(一) 中宮が埴安神社境内において、いきなり出刃包丁で被告人の右大腿部内側に前記の傷害を負わせた所為は、同人の被告人に対する攻撃の経緯、なかんずく右攻撃は被告人の全く予測し得ないところで、とつさにこれを回避する等の時間的余裕や方法が全然なかつたこと、同人が攻撃に用いた兇器は鋭利な出刃包丁であつたこと、被告人の受けた傷害は一時生命を危ぶまれる程の重傷であつたこと、などの諸点からみて、正しく被告人の生命に対する高度の急迫不正の侵害にあたるものと解することができる。

(二) ところで被告人は自己の右大腿部内側に突き刺さつた包丁を抜き取つたのち本件所為に出たのであるから、この段階においてもなお急迫不正の侵害が継続していたか否かにつき検討するに、さきに認定したように、被告人が右包丁を抜き取つたところ、なおも中宮は石のような物を手に持つて、被告人の正面から殴りかかつてきたことが明らかであり、なおかつ、当時被告人は同人の一撃を受けて瀕死の重傷を負い、そのまま放置されるだけでも多量の出血により生命の安否が危ぶまれ、辛うじて歩行可能に過ぎない状態に陥つていたのに対し、一方の中宮は、被告人に比し遜色のない体格で、身体になんらの傷害も受けておらず、飲酒酩酊の度合いも医師広瀬広作成の鑑定書によれば軽度または中等度のもので、身心に格別の影響を与えたと見受けられる様子もなく、いわばごく普通の状態であつたものと認められ、このような状況からすると、出刃包丁を手放したのちも攻撃の手を緩めなかつた同人の行動から推して、たとえ一時右包丁が被告人の手中に帰したとはいえ、同人からいつまたこれを奪い取られて更に攻撃を加えられるやもはかりしれない危険性が極めて大であつたことをも推認するに難くないので、同人が現に攻撃を続けてくる以上は、なお被告人の生命に対する侵害が継続していたものと解するのが相当である。

三、「防衛の意思」をもつて本件所為に出でたものか否かを考えるに、

(一) 被告人は本件所為につき殺意を否定しているが、さきに認定した被告人の反撃行為の態様、回数および中宮の受けた傷害の部位、程度ならびにのちに認定するように憤激の情をも併せ懐いてとつさに反撃した事情を綜合考察すると、被告人に少なくとも未必の殺意があつたことは認めざるを得ない。しかしながら正当防衛はもともと急迫不正の侵害に対する反撃であるから、攻撃意思の存在は直ちに防衛意思の存在を否定するものではなく、たとえ未必の殺意があつたにしても、その所為が専ら防衛のやむことを得ざるに出でたものである限り正当防衛の成立を妨げるものではないと考える。

<中略>

当時の埴安神社境内における彼我の行動の始終に徴すると、暗い場所で、突如として全く予測だにしない強力な一撃を受けて瀬死の重傷を受け、驚がく興奮した被告人が、必死になつて出刃包丁を抜きとり、なおも攻撃を加えて来る中宮に対し、無我夢中で手にした右包丁を突き出した状況を窺知するに足りるとともに被告人の前記供述もまた容易にこれを首肯し得るのであつて、これを要するに本件のような、とつさになされた被告人の所為は、いわば自己保存の本能に基づき衝動的になされたもので、他に特別の事情が認められない限り、自己の生命を防衛しようとする意思に出でたものと認めるのが相当である。

右のような状況下に、友人である中宮からいわれもないのに突加予想だにしない強度の攻撃を受けてこれに憤激するのはむしろ極めて自然な人間心理というべきもので、しかも瞬時の間この程度の激情が併存したからといつて、いわゆる防衛意思の存在を否定する理由とはなり得ないものと解される。

四、被告人の本件所為が「やむことを得ざるに出でた」ものであるか否かにつき考えるに、

(一) 以上くわしく検討したように、中宮の攻撃は、被告人の生命に対する高度にして極めて切迫した危険性を有するもので、かかる攻撃を受けた被告人が自己の生命を防衛するため何らかの行為に出る必要があることはまことに当然であるといわねばならず、さきにみてきたとおり、被告人は全く予測しない同人の強力な一撃によつて生命の危険に瀕していたこと、当時境内には人影もなく、前掲実況見分調書および検証調書によつて明らかなように付近の人家まではかなりの距離があり、かつ深夜であつて他に救助を期待し得ない状況にあつたことおよび現場は被告人の背後には急な崖がひかえ、西側には山道があるとはいえ間近ではなく唯一の退路と目される神社の石段(約五〇段)の方には中宮が立ち塞がつていたため、急速に逃れる余地がなかつたこと、などの諸点を考慮すれば、歩行能力から殆んど奪われた被告人を目がけて、なおも攻撃の手を緩めようとしない著しく優勢な中宮に対しこれを回避する余裕も、他にとりうべき手段もなく、かつ何ら防禦の用具をも持ち合わせなかつた被告人が、たまたま手中にした前記包丁を用いて反撃行為に及び、同人の左胸部、右胸部、左頬部を各一回突き刺したことは、それが未必の殺意によるとはいえ、まことにやむことを得ざるに出でた行為といわざるを得ない。

(二) 被告人の本件所為は、両者が攻防のため移動した始終わずかに五メートル余の間に起つた瞬間的な出来事で、瀕死の重傷に驚がく興奮した被告人が無我夢中でとつさに反撃を加え、彼我の情勢をかえりみる暇もなく続いて第二、第三と連続する同種行為に出たとしても、寸刻を争う前記状況に照らせばまことに無理からぬところという外なく、これを招来するに至つたのは中宮自身の全く不法な攻撃によるものである事情をも考えあわせると、なお全体的に観察すれば正当防衛行為として許される相当性の範囲を逸脱しないものというべきである。(秋吉重臣 前川豪志 金沢英一は転任のため署名押印することができない。)

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